2026年10月8日から始まったテレビ東京の『赤灯えれじい』で、鳴海唯さんとダブル主演を務める黒崎煌代さん。父親はどんな人なのか、どんな家族に育てられたのか、気になっている人も多いのではないでしょうか。
この記事では、黒崎煌代さんの父親について、本人の言葉や記事からわかることをまとめました。父の仕事と洋画があふれた家、合格の日の父の喜び方や父の言葉も紹介します。
さらに、母の心配と母の言葉、育った三田の町、演じてきた家族の役も取り上げます。世間の声まで、ぜひ最後までチェックしてみてください。
Contents
- 1 黒崎煌代の父親は?映画を見せてくれた父の仕事と合格の日の喜び方
- 2 黒崎煌代の父親と家族の話は?母の心配と育った三田、演じた家族の役
黒崎煌代の父親は?映画を見せてくれた父の仕事と合格の日の喜び方
- 父親はどんな人?米国で映像関係の仕事をしていた時期がある
- 父と見た映画は?スター・ウォーズやダイ・ハード、アバター
- 父の影響は?映画の世界に憧れて作る側を目指した
- 親に隠した趣味は?鏡の前で俳優の演技をまねていた
- 合格の日の父は?初めて聞くような大きな声で喜んだ
- 父の言葉は?お金は払わないから自分でなんとかしろ
父親はどんな人?米国で映像関係の仕事をしていた時期がある
黒崎煌代さんの父親は、どんな人なのでしょうか。どんな仕事をしているのかも気になりますよね。
黒崎煌代さんの父親は、アメリカで映像の仕事に就いていた時期がある人です。家には洋画のDVDや映画の本がたくさん並び、黒崎煌代さんは小さい頃から映画が身近にある家で育ちました。父の名前や勤め先は、記事には出てきません。
米国で映像関係の仕事
2023年10月31日の神戸新聞の記事によると、黒崎煌代さんの父親は、米国で映像関係の仕事をしていた時期があるそうです。記事は、黒崎煌代さんが朝ドラでデビューした年に、母校の北摂三田高校を訪れた際の取材をもとにしています。
2025年10月10日の読売新聞の記事でも、映像関係の仕事をしていた父の影響で、幼少期から洋画に親しんだと紹介されています。カンヌ国際映画祭に主演映画が出品された年の記事で、兵庫県出身の若手俳優として取り上げられていました。コロナ禍のモヤモヤした感じがあったので、えいっと、とオーディションに飛び込んだ当時のことも話しています。
洋画があふれた家
同じ神戸新聞の記事では、自宅に洋画のDVDや映画関係の本があふれていたと紹介されています。小さい頃から映画が身近にあり、初めて見た映画は『スター・ウォーズ』でした。
王道のSF映画に衝撃を受けた黒崎煌代さんは、自分が生まれる前の作品も含めて、数多くの洋画に触れてきたといいます。DVDや本が並ぶ家で、小さい頃から映画が身近な存在でした。
どのインタビューにも出てくる父
父の話は、その後のインタビューでもたびたび出てきます。2026年6月17日のLEONのインタビューで、黒崎煌代さんは、父が映画関係の仕事をしていたので、子どもの頃からその世界に憧れがありました、と話しています。
6月に配信されたSTORYのインタビューでも、映画の世界に興味を持ったきっかけは、映像関係の仕事をする父がメジャー映画を見せてくれたことだと語りました。デビューから3年がたった2026年のインタビューでも、映画との出会いを語るときには父の話が出てきます。
父と見た映画は?スター・ウォーズやダイ・ハード、アバター
黒崎煌代さんは、父とどんな映画を見てきたのでしょうか。映画好きになったきっかけの作品も気になりますよね。
黒崎煌代さんが父に見せてもらったのは、『スター・ウォーズ』や『ダイ・ハード』、『アバター』といったメジャー映画です。子どもの頃に父と一緒に『スター・ウォーズ』のシリーズを見た記憶は、今も鮮明に残っているそうです。中学生になると、見る作品を自分で選ぶようになりました。
父が見せてくれた映画
2026年6月11日のSTORYのインタビューで、黒崎煌代さんは、映画の世界に興味を持ったのは、映像関係の仕事をする父が、スターウォーズやダイハード、アバターといったメジャー映画を見せてくれたのがきっかけです、と話しています。
それをきっかけに、メジャー作品だけでなく、とにかくいろいろなジャンルの映画を見るようになったそうです。2025年10月11日のORICON NEWSの記事でも、父の影響で、それこそ『スター・ウォーズ』をはじめ、たくさんの映画や映像を見て育った、と語っていました。
鮮明に残る父との記憶
同じLEONのインタビューでは、子どもの頃から映画の英才教育を受けていたのかと聞かれ、黒崎煌代さんは、いや、そんなことはないです、と笑っています。
ただ、子どもの頃、父と一緒に『スター・ウォーズ』シリーズなどを見ていた記憶は鮮明に残っています、と続けました。特別な教育ではなく、家で父と一緒に映画を楽しんだ時間が、今も心に残っているという話です。
自分で選ぶようになった10代
同じLEONの記事によると、中学生くらいの時に配信サービスが主流になってからは、自分で選んだ作品を見ていたそうです。父に見せてもらう映画から、自分で探す映画へと変わっていきました。
STORYの記事では、10代の特権は暇と時間があることで、とんでもない量の映画を10代のうちに見た、と話しています。次々に役をもらえる理由があるとしたら、これが要因ではないかと思う、と語りました。とんでもない量の映画から、たくさんの情報を得られたからだそうです。
父の影響は?映画の世界に憧れて作る側を目指した
黒崎煌代さんは、父からどんな影響を受けたのでしょうか。俳優になる前に目指していた道も気になりますよね。
黒崎煌代さんは、映画関係の仕事をしていた父の影響で、子どもの頃から映画の世界に憧れていました。高校では友人と映像づくりに打ち込み、大学では映像の著作権を学ぼうと法学部に進んでいます。最初に目指していたのは、演じる側ではなく作る側でした。
子どもの頃からの憧れ
オーディションに応募した理由について、LEONの記事では、俳優になりたかったわけではなく、映画関係の仕事に就きたいと思っていたのがきっかけだと話しています。
父の仕事を通して、小さい頃から映画の道に憧れを持っていたそうです。それもあって、俳優がどういうものか知っておきたかった、とも語りました。STORYの記事でも、俳優ではなく映像業界を目指していた、と話しています。
高校で始めた映像づくり
神戸新聞が母校を訪れた黒崎煌代さんに聞いた話では、北摂三田高校に進んだ黒崎煌代さんは、脚本を書くのが好きな同級生と出会い、3年間を映像制作に打ち込みました。文化祭ではクラスメートら十数人を巻き込み、20分ほどのサスペンスドラマを作っています。
この作品は、発表会で最優秀賞を受けました。ORICON NEWSの記事では、自分がカメラマンと監督を務め、みんなでわいわいガヤガヤと作った思い出があると振り返っています。それが、映画の世界に行きたいと強く思ったきっかけの一つだったそうです。
法学部とCGの独学
神戸新聞の記事によると、映画に関わって生きていきたいという思いは、高校生活の間に固まっていたそうです。進学先には、映像関係の著作権を学ぼうと法学部を選びました。CGなどの勉強も、独学で進めていたといいます。
ORICON NEWSのインタビューでは、大学への進学をきっかけに上京したものの、コロナ禍のまっただ中で、授業はすべてリモートだったと話しています。何かやりたいのにやれない時期に、インスタグラムで今の事務所のオーディションを見つけて、その場で応募したそうです。
親に隠した趣味は?鏡の前で俳優の演技をまねていた
黒崎煌代さんには、家族にも話していなかった趣味があったそうです。どんな遊びをしていたのか気になりますよね。
黒崎煌代さんは、好きな映画の俳優の演技をまねて遊ぶ趣味を、親にも隠して続けてきました。服をまねて、鏡に向かって表情やせりふを再現し、その俳優になりきる遊びです。小学生の頃から10年以上続けていて、今は映画を見て脚本を書き起こすことも趣味にしています。
10年以上続けた遊び
デビューの年の神戸新聞のインタビューで明かしたのが、親にも隠してきた趣味です。好きな作品の俳優の演技をして遊ぶことでした。
服装も似せて、鏡の前で表情やせりふをまね、その俳優になりきるといいます。小学生の時から10年以上続けてきたそうです。洋画があふれる家で見た映画を、見るだけでなく自分の体でなぞる遊びをしていました。
ラ・ラ・ランドとエマ・ストーンさん
まねてきた作品について、黒崎煌代さんは、人生最高の映画『ラ・ラ・ランド』は繰り返しまねています、と話しています。男性の役だけでなく、ヒロインのエマ・ストーンさんもまねるそうです。
STORYの記事では、俳優を目指す子に向けて、ディカプリオさんが出る映画はあらゆる角度から役に立つ、とすすめています。鏡の前でまねたエマ・ストーンさんも、すすめるディカプリオさんも、海外の映画のスターです。
脚本を書き起こす趣味
所属事務所のレプロエンタテインメントの公式プロフィールには、趣味として、映画鑑賞、映画を観て脚本を書き起こすこと、と書かれています。特技は、ドッジボール、スキー、普通自動車免許です。プロフィールの出身地は兵庫県で、生年月日は2002年4月19日です。
2024年1月4日のQUIのインタビューによると、脚本の書き起こしは高校生の頃から続けているそうです。趣味で脚本を書いているので、その勉強になるといいます。高校生ぐらいからはCGも学んでいて、映画業界に入りたいと考えていました。オーディションは記念受験のような気分で受けたそうで、まさか出る側になれるとは思ってもなかった、と話しています。
合格の日の父は?初めて聞くような大きな声で喜んだ
黒崎煌代さんがオーディションに受かったとき、父はどんな反応をしたのでしょうか。家族の喜び方も気になりますよね。
黒崎煌代さんが合格をすぐ電話で知らせると、父はそれまで聞いたことがないほどの大声で喜んだそうです。母は少し心配していました。オーディションのことは両親に話しておらず、合格してから事務所に所属したと伝えたため、両親はとても驚いたといいます。
横浜のバス停で受けた連絡
神戸新聞が2023年に伝えたところでは、黒崎煌代さんが受けたのは、約5千人が応募したレプロエンタテインメントの役者オーディションでした。演技の経験はなく、合格者への特典の1年間の演技の勉強にひかれて応募したそうです。オーディションの中に8回のワークショップがあることも、魅力だったといいます。
最終選考に合格したという連絡が来たのは、横浜で友人と遊んだ帰りに、バスを待っているときでした。手が震えて、今まで出したことのないような声が出たことだけ覚えています、と話しています。
大きな声で喜んだ父
合格の連絡を受けた黒崎煌代さんは、すぐに両親に電話しました。神戸新聞は、父も初めて聞くような大きな声で喜んでくれ、母は少し心配していた、と伝えています。
電話の相手の両親は、息子がオーディションを受けていたことを知りませんでした。合格の知らせは、両親にとって突然の報告だったことになります。父と母の反応がそれぞれ違ったことまで、本人が覚えて話していました。
事後報告に驚いた両親
2024年1月24日の双葉社のTHE CHANGEで、黒崎煌代さんは、そもそもオーディションのことも言っていなくて、合格してから事後報告でした、と話しています。自分で応募して、1次、2次、3次と受け、最終のワークショップに通ったそうです。
両親は、出る側、となって驚いていたといいます。そんな素振りは一切見せたことがなかったからです。そこから父が事務所について調べた、と黒崎煌代さんは笑っています。それでも、もう決めました、という感じで伝えたそうです。
父の言葉は?お金は払わないから自分でなんとかしろ
黒崎煌代さんが俳優の道を選んだとき、父はどんな言葉をかけたのでしょうか。家の教えも気になりますよね。
黒崎煌代さんは2023年の夏ごろ、就職活動はせずに役者としてやっていくと両親に伝えました。父は認めてくれたものの、お金は一切出さないので自分の力でやっていくように、という条件を付けたそうです。やりたいことをさせる代わりに、自分で責任を取るよう教える家でした。
就職活動はしないと伝えた夏
THE CHANGEの連載第1回では、2023年の夏のことも語られています。黒崎煌代さんは、2023年の夏頃に、両親に、就職活動はしない、役者としてやっていく、と伝えたんです、と話しています。このとき黒崎煌代さんは大学生で、周りの友達は就職活動を始めていたそうです。
許可はもらいましたが、その代わり、絶対にお金は払わないから自分でなんとかしろ、と父に言われました、と語っています。役者の道を認める代わりに、生活は自分で支えるように、という条件でした。
自分で責任を取る放任主義
同じインタビューで、黒崎煌代さんは、もともとウチは放任主義的なところがあって、やりたいことをやらせてくれる代わりに、自分で責任を取るように、と教えられてきました、と話しています。
とはいえ、両親は最初、少し渋っていたそうです。大学生活のサークルのような感覚で考えていたのではないか、と振り返っています。ところが、すぐに映画『さよなら ほやマン』の出演が決まり、両親は、え、映画に出るの、と驚いたといいます。
その道で行くのか
その後も両親は、芝居の経験が就職活動に役立つだろうと思っていたそうです。STORYのインタビューでも、就活のエントリーシートに書けるから、くらいのノリだと思っていたらしい、と話しています。
数か月後に朝ドラの出演が決まると、両親も、これは時勢が変わってきたぞ、となったそうです。お前、その道で行くのか、と改めて聞かれ、はい、行きます、と答えました。STORYの記事では、このころの両親の様子を、おや、こいつ本気だぞ、となったようで、と笑っています。
黒崎煌代の父親と家族の話は?母の心配と育った三田、演じた家族の役
- 母の反応は?芸能界を怖いところではと心配した
- 母の言葉は?好かれているのはあなたじゃなく六郎
- 育った町は?兵庫県三田市で高校まで過ごした
- 子どもの頃は?尖っていて先生と口喧嘩もした
- 演じた家族の役は?遠藤憲一さんや阿部サダヲさんが父を演じた
- 世間の声は?朝ドラの弟役の出番や次の役をたずねる質問
母の反応は?芸能界を怖いところではと心配した
黒崎煌代さんが芸能界に入るとき、母はどう受け止めたのでしょうか。父とは違う母の思いも気になりますよね。
黒崎煌代さんの母は、最初はとても怖かったそうです。不安定な仕事で、兵庫に住んでいると芸能界は遠い存在だったため、怖いところではないかと心配していました。それでも、両親はともに基本的に応援してくれた、と黒崎煌代さんは話しています。
少し心配していた母
オーディションの合格を電話で伝えたとき、父は大きな声で喜び、母は少し心配していた、と2023年の神戸新聞は伝えています。喜ぶ父とは違う受け止め方でした。
このとき黒崎煌代さんは大学2年生で、兵庫県三田市の実家を離れて東京で暮らしていました。演技の経験もないまま、約5千人の中から選ばれた合格です。母がこの道をどう受け止めていたのかは、2026年のインタビューで詳しく語られています。
兵庫から遠かった芸能界
40代の読者に向けた雑誌STORYで、黒崎煌代さんは、でも、最初母は、すごく怖かったらしいんです、と話しています。不安定な職業ですし、兵庫に住んでいたら芸能界なんて遠い存在で、と母の気持ちを説明しました。俳優になって3年あまりがたった、24歳のときのインタビューです。
母は、怖いところじゃないの、と心配していたそうです。黒崎煌代さんはこの話を、笑いながら紹介しています。兵庫の家から見ると、芸能界はそれほど遠い世界だったという話です。
両親そろっての応援
STORYの記事によると、両親はもともと、息子が俳優になるとは思っていなかったそうです。心配はあっても、母は反対しませんでした。同じ記事で、黒崎煌代さんは、でも、両親ともに基本的に応援してくれました、と話しています。
朝ドラに出ると伝えてからは、反対する余地も与えず、認めざるを得ないといった感じだったと思う、と振り返っています。反対する隙を与えなかったのが、良かったのかもしれません、と笑っていました。父の条件と母の心配があっても、最後は両親そろって応援してくれたという話です。
母の言葉は?好かれているのはあなたじゃなく六郎
黒崎煌代さんは、母からどんな言葉をかけられているのでしょうか。今も続く母の気づかいも気になりますよね。
役の六郎が評判になったとき、黒崎煌代さんは母から、人気があるのは本人ではなく六郎だ、と言われたそうです。その言葉を、今も心に刻んでいます。母は今も、とにかく健康に気を付けて、と野菜ジュースを送ってくれています。
肝に銘じる母の言葉
双葉社が2024年1月31日に配信したインタビューの見出しには、絶賛の声にも、好かれているのはあなたじゃなく六郎、肝に銘じる母からの言葉、とあります。朝ドラで演じた六郎が多くの人に愛された時期の話です。
六郎は、主人公の弟で、亀が大好きな心優しい青年でした。母の言葉は、役への絶賛の声が集まっていた時期にかけられたものでした。インタビューした記者は、黒崎煌代さんの落ち着きは家族から来ているのだと思うと納得だ、と書いていました。同じ記事で、朝ドラで姉を演じた趣里さんについては、本当の姉のようだった、と話しています。
野菜ジュースを送る母
母の今の様子も、STORYのインタビューで語られています。黒崎煌代さんは、母は、今も、とにかく健康に気を付けて、と、野菜ジュースを送ってくれています、と話しています。
デビューから3年がたち、ドラマや映画の出演が続く息子の体を、母は今も気づかっています。最初は芸能界を怖いところではと心配していた母が、今は健康を気にかけている、という話です。インタビューが載ったのは、出演した映画『急に具合が悪くなる』の6月19日の公開を控えた時期です。
夢を止めないでほしい
このSTORYのインタビューは、思春期の子を持つ親に向けたものでした。黒崎煌代さんは、子どもが夢を見つけたとき、それを止めないであげてください、と話しています。
また、子どもにやりたいことがあるなら、10代のうちにたくさんの情報を与えてあげることが大切だと思う、とも語りました。同じインタビューでは、この話の前に、父が映画を見せてくれたことや、両親が応援してくれたことを語っていました。
育った町は?兵庫県三田市で高校まで過ごした
黒崎煌代さんは、どんな町で家族と暮らしてきたのでしょうか。地元への思いも気になりますよね。
黒崎煌代さんは、兵庫県三田市で育ちました。神戸の北にある町で、幼稚園から高校まで、ほとんど景色が変わらなかったそうです。大学への進学をきっかけに上京しましたが、三田には満足していて、今でも大好きだと話しています。
神戸の北の三田
QUIのインタビューで出身地を聞かれると、黒崎煌代さんは、三田という、神戸の北のところです、と答えています。地元の関西で取材したORICON NEWSの記事でも、神戸・大阪から少し離れた兵庫県の三田市で育った、と話しました。
同じORICON NEWSの記事で、上京したのは東京への憧れからかと聞かれると、いえ、三田には満足していましたし、今でも大好きです、と答えました。大学は、映画とは別の分野を学ぼうと東京を選んだそうです。
変わらなかった景色
2025年10月16日のEsquireのインタビューで、黒崎煌代さんは、僕は関西の田舎出身で、幼稚園から高校までほとんど景色が変わらなかったんですが、と話しています。
主演映画の舞台になった渋谷は、半年ごとに街が変わるといいます。ずっと変化する姿に驚き、ついていきたくないと思ってしまうほどの熱量がある、と語りました。東京で生まれ育った団塚唯我さんとは、街の捉え方が違うとも話しています。渋谷にいそうな役の蓮についても、人として見たらそんなに自分と違わない、と話していました。
ウッディタウンの映画館
デビューの年の10月、黒崎煌代さんは母校や小さい頃からよく訪れていたウッディタウンの映画館など、三田市内の約20か所を回りました。神戸新聞が、その様子を伝えています。デビュー作の朝ドラと、映画『さよなら ほやマン』を紹介するためです。
母校の北摂三田高校では、担任だった先生と久しぶりに再会しました。1年生の時の面談では、アナウンサーになりたいと言っていた、と思い出話に花を咲かせたそうです。学校にサインが飾られると聞いて、跳び上がって喜んでいました。
子どもの頃は?尖っていて先生と口喧嘩もした
黒崎煌代さんは、どんな子どもだったのでしょうか。家族と暮らしていた頃の姿も気になりますよね。
黒崎煌代さんは、子どもの頃は尖っていたのかもしれない、と振り返っています。ずっと人を睨んでいて、先生と口喧嘩もしていたそうです。小学校の頃から声が低いと言われ、スポーツは競技ドッジボールとバスケットボールに打ち込みました。
睨んでいた子ども
どんな子どもだったかと聞かれたのは、QUIのインタビューです。黒崎煌代さんは、今考えると、尖ってたのかな、と答えています。ずっと睨んでいたらしいと、最近の同窓会で言われたそうです。
先生と口喧嘩もしていたといいます。自分の気持ちを主張しようとすると熱くなってしまうところがあった、と話しました。今はそうなることはないそうです。小学校の頃の夢を見返すと、俳優になりたいと書いていたこともあり、自分でも驚いたといいます。単純にテレビに出たかったからかもしれない、とも話していました。
小学校から低かった声
2025年10月9日のHOUYHNHNMのインタビューで、黒崎煌代さんは、小学校の頃から声低いなーってまわりに言われていました、と話しています。主演映画で声が印象的だったと言われたときの答えでした。
声の表現は難しく、舞台に向けてトレーニングをしているところだといいます。これまで演じてきた役はセリフが少なめだったので、セリフの多い役が来たらドキドキしそうだ、とも話していました。
ドッジボールとバスケ部
QUIのインタビューによると、黒崎煌代さんは小学校で競技ドッジボールをしていました。事務所のプロフィールにも、特技としてドッジボールが書かれています。中学の3年間はバスケットボール部で、スラムダンクの三井に憧れていたそうです。
中学では副キャプテンになりました。THE CHANGEの連載第3回では、高校でもバスケ部に入りましたが、映画を勉強する時間がほしくて辞め、もう一度入れてもらってから、また辞めたと話しています。キャプテンや先生に申し訳ないことをした、と振り返っていました。
演じた家族の役は?遠藤憲一さんや阿部サダヲさんが父を演じた
黒崎煌代さんの父親の話では、役で共演した父親役の俳優の名前もよく挙がります。本人の父と役の父の違いも気になりますよね。
映画『見はらし世代』では遠藤憲一さんが、関西電力のCMでは阿部サダヲさんが、黒崎煌代さんの父親役を演じました。どちらも役の上の父で、本人の父親ではありません。黒崎煌代さん自身は、デビュー作から弟の役が続いています。本人のきょうだいについては公表されていません。
見はらし世代の父と母
2025年10月公開の映画『見はらし世代』で、黒崎煌代さんは主人公の蓮を演じました。Esquireの記事によると、父を遠藤憲一さん、母を井川遥さん、姉を木竜麻生さんが演じています。母を亡くして以来、父と疎遠になっていた青年の物語です。
黒崎煌代さんは、遠藤さん演じる父親は仕事では偉いけれど、どこか情けない、それが極めて現代的でリアルだと話しています。父親像は変わるべきだと思う、父親でも泣いていいという柔らかさが今の時代に合っている、とも語りました。HOUYHNHNMの記事では、遠藤憲一さんが、芸歴3年でできる演技じゃない、と黒崎煌代さんをほめています。
CMと配信ドラマの父
2024年8月14日に放送が始まった関西電力のCM、心配性の父篇では、阿部サダヲさんがおせっかいで不器用な父親を、黒崎煌代さんがそっけない態度をとってしまう息子を演じました。リモコンを取り合う場面では、撮影のあとも2人で笑い合ったそうです。
2026年のNetflixシリーズ『九条の大罪』では、黒崎煌代さんが演じた曽我部聡太の父親を、水澤紳吾さんが演じています。2026年4月25日のシネマトゥデイの記事によると、2人の演技は親子そろって絶賛されました。どれも、黒崎煌代さんの父親役として名前が挙がる俳優です。
弟の役が続いた
デビュー作の朝ドラで演じた花田六郎は、主人公の弟です。2023年11月2日のイザ!の記事によると、父の花田梅吉を柳葉敏郎さん、母の花田ツヤを水川あさみさんが演じました。
映画デビュー作の『さよなら ほやマン』では主人公アキラの弟シゲルを、『見はらし世代』では姉のいる弟の蓮を演じています。2026年10月8日に始まったテレビ東京の『赤灯えれじい』では、実家暮らしで無職のサトシを、鳴海唯さんとのダブル主演で演じています。
世間の声は?朝ドラの弟役の出番や次の役をたずねる質問
黒崎煌代さんについて、世間ではどんな声が上がっているのでしょうか。ここでは、Yahoo!知恵袋に寄せられた質問を3つ紹介します。
知恵袋に寄せられているのは、デビュー作の朝ドラで演じた六郎についての質問が中心です。出番がいつからなのか、六郎のあとに別の役で出るのかをたずねる声がありました。2026年には、賞を取ると思うかという質問も寄せられています。
出番をたずねる質問
2023年10月12日には、朝ドラで弟役の黒崎煌代さんはいつから出演されますか、という質問が投稿されています。閲覧数は89回で、回答は1件です。黒崎煌代さんのテレビドラマデビュー作が、放送されていた時期の質問です。
回答では、今日、出演されてましたよ、と答えられていました。回答が寄せられたのは、質問の翌日です。デビューしたばかりの新人の出番を、放送前から心待ちにしていた人がいたことがわかります。
再登場をたずねる質問
2023年12月8日には、六郎役の黒崎煌代さんが別の役で再登場する可能性はありますか、という質問が寄せられました。閲覧数は157回、回答は2件です。ここで紹介する3つの質問の中で、最も多く読まれている質問です。
ベストアンサーでは、六郎に似た人が出てくる話の流れはないと思うので、出ないほうがよい、出るなら幽霊役、と答えられていました。もう1件の回答では、ほかのテレビ局の作品に別の役で出ることはありがち、と書かれています。朝ドラではクランクアップの画像が出ていたので、出演はもう終わりだと思う、とも書かれていました。
賞の予想の質問
2026年1月11日には、黒崎煌代さんは今年のアカデミー賞を取ると思いますか、という質問がありました。閲覧数は89回、回答は1件でした。主演映画の『見はらし世代』が公開された次の年の質問でした。
回答では、期待してます、と短く答えられていました。回答は、質問から3日後に寄せられています。デビューから3年ほどで、賞の行方を気にかける人が出てきたことがわかります。
黒崎煌代の父親のまとめ
- 黒崎煌代は2002年4月19日生まれ、兵庫県出身の俳優である
- 父は米国で映像関係の仕事をしていた時期があり、家には洋画のDVDや映画の本があふれていた
- 父が見せてくれたスター・ウォーズやダイ・ハード、アバターが、映画を好きになるきっかけだった
- 父の仕事から映画の世界に憧れ、高校では映像づくりに打ち込んだ
- 好きな俳優の演技を鏡の前でまねる遊びを、親にも隠して10年以上続けた
- オーディションの合格を電話で伝えると、父は初めて聞くような大きな声で喜んだ
- オーディションのことは両親に話さず、合格してから伝えた
- 就職活動をしないと伝えると、父からお金は払わないから自分でなんとかしろと言われた
- 家は放任主義で、やりたいことをさせてもらう代わりに自分で責任を取るよう教えられた
- 母は最初、芸能界は怖いところではないかと心配した
- 母からは、好かれているのはあなたじゃなく六郎と言われた
- 母は今も、健康に気を付けてと野菜ジュースを送ってくれる
- 兵庫県三田市で育ち、大学への進学をきっかけに上京した
- 見はらし世代では遠藤憲一が、CMでは阿部サダヲが父親役を演じた
- 2026年10月から、赤灯えれじいで連続ドラマに初めて主演している
出典:神戸新聞NEXT(2023年10月31日・父の仕事と洋画があふれた家)/イザ!(2023年11月2日・朝ドラの花田家の父と母)/QUI(2024年1月4日・子どもの頃と地元の三田)/双葉社 THE CHANGE(2024年1月24日・両親への事後報告と父の言葉)/双葉社 THE CHANGE(2024年1月31日・母からの言葉とバスケ部)/関西電力(2024年8月14日・CM 心配性の父篇)/HOUYHNHNM(2025年10月9日・遠藤憲一さんとの親子役)/読売新聞(2025年10月10日・父の影響で親しんだ洋画)/ORICON NEWS(2025年10月11日・三田から上京したコロナ禍)/Esquire(2025年10月16日・父親像と地元の景色)/シネマトゥデイ(2026年4月25日・九条の大罪の父役)/STORY(2026年6月11日・父が見せてくれた映画と母の心配)/LEON(2026年6月17日・父と見たスター・ウォーズ)/テレビ東京(2026年8月19日・赤灯えれじい)/レプロエンタテインメント(黒崎煌代 プロフィール)
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