朝ドラ『風、薫る』で寛太を演じて注目を集めている藤原季節さん。どこの高校に通い、どの学校に進んだのか、学歴が気になっている人も多いのではないでしょうか。
この記事では、藤原季節さんの学歴について、本人がインタビューで話したことや報道をまとめました。札幌で過ごした小学校から高校までの学生時代や、剣道と映画に夢中だった子どものころも紹介します。
さらに、1年の浪人を経て上京してからの進学先や、中退して俳優になるまでの道のりも取り上げます。世間の声まで、ぜひ最後までチェックしてみてください。
Contents
- 1 藤原季節の学歴は?札幌で過ごした小学校から高校までと剣道の日々
- 2 藤原季節の学歴は高校卒業後どうなった?1浪して上京し1年で中退
藤原季節の学歴は?札幌で過ごした小学校から高校までと剣道の日々
- 出身はどこ?北海道札幌市で小中高の学校名は公表されていない
- 剣道はいつから?6歳から習い始めて二段の腕前に
- 映画との出会いは?小学校低学年でマトリックスに夢中になった
- 学校ではどうだった?小学校から高校まで居場所がなく図書室にいた
- 高校時代は?プライドが高く孤立して本を読むふりをしていた
出身はどこ?北海道札幌市で小中高の学校名は公表されていない
藤原季節さんは、どこで生まれ育ち、どんな学校に通っていたのでしょうか。朝ドラ『風、薫る』で藤原季節さんを知って、学生時代が気になった人も多いですよね。
藤原季節さんは、北海道札幌市の出身です。ただ、通っていた小学校、中学校、高校の名前は公表されていません。
北海道札幌市の出身
所属事務所オフィス作の公式プロフィールでは、出身地は北海道と紹介されています。2019年12月20日に公開されたCREA WEBのインタビューのプロフィールでは、北海道札幌市出身と書かれていました。
2021年6月1日のJ-WAVE NEWSの記事では、上京するときに、地元の札幌を飛び出したと紹介されています。2024年9月19日のデイリー新潮でも、大学進学を機に故郷の札幌から上京したと書かれていました。上京するまでは、地元の札幌で暮らしていたということですね。
小学校から高校までの学校名
通っていた小学校、中学校、高校の名前は、所属事務所の公式プロフィールには載っていません。2024年11月18日のENCOUNTのインタビューでも、小学校も中学校も高校も、と学生時代を振り返っていますが、学校名にはふれていませんでした。
ネット上では、札幌市内の高校に通っていたのではないかと言われることもあります。ただ、高校名を示す資料はなく、どこの高校かは公表されていません。一方で、高校を卒業したあとの進学先については、日刊スポーツの記事で紹介されています。くわしくは、このあとの見出しで紹介しますね。
生年月日と今の年齢
所属事務所の公式プロフィールによると、藤原季節さんは1993年1月18日生まれで、2026年10月現在は33歳です。血液型はB型、身長は173センチです。
2022年6月10日のMEN’S NON-NO WEBのプロフィールでは、1993年1月28日生まれと書かれていて、日付が少し違っています。所属事務所や日刊スポーツは1月18日としています。1993年1月生まれなので、計算すると、高校を卒業したのは2011年3月になります。早生まれなので、1992年4月2日以降に生まれた人と同じ学年だったということですね。
剣道はいつから?6歳から習い始めて二段の腕前に
藤原季節さんのプロフィールには、特技として剣道が書かれています。剣道はいつから、どんなきっかけで始めたのでしょうか。
藤原季節さんは、6歳から剣道を習っていて、腕前は二段です。お母さんが剣道の先生だったことも、習い始めたきっかけのひとつだったそうです。
剣道の先生だった母親
2019年12月20日のCREA WEBのインタビューで、6歳のころから剣道を習った理由を聞かれた藤原季節さんは、母親が剣道の先生ということもあって、6歳から習っていたと答えています。家族のすぐそばに、剣道の先生がいたということですね。
一方で、2021年5月20日のAERA DIGITALのインタビューでは、自分から親に、剣道を習いたいと言ったと話しています。お母さんが先生だったことに加えて、藤原季節さん自身も、習いたい気持ちを親に伝えていたようです。お母さんの名前や道場の場所などは、公表されていません。
稽古が嫌だった内向的な子ども
ただ、CREA WEBのインタビューでは、ゲームが好きな内向的な子どもだったので、稽古が本当に嫌だったとも話しています。しかも運動神経がよくなく、運動会のリレーの選手に選ばれたことは一度もなかったそうです。
道場に行くよりも、学校や地域の図書館で歴史小説などを読んでいるほうが楽しかったといいます。体を動かすより、本を読むのが好きな子どもだったんですね。図書館で過ごした話は、このあとの学校生活の見出しでもふれますね。
それなりに楽しかった稽古と二段
AERA DIGITALのインタビューでは、剣道の稽古はそれなりに楽しかった、と話しています。稽古が嫌だったという話と、それなりに楽しかったという話の両方が、本人の言葉として紹介されています。嫌な日も楽しい日もありながら、続けていたのかもしれませんね。
そうして6歳から続けた剣道は、二段の腕前になりました。所属事務所の公式プロフィールでも、剣道(二段)は趣味と特技の最初に書かれています。2026年7月23日には、Yahoo!知恵袋にも藤原季節さんの特技をたずねる質問が投稿されていて、このあとの世間の声の見出しで紹介します。
映画との出会いは?小学校低学年でマトリックスに夢中になった
俳優になった藤原季節さんは、子どものころ、どんなものに夢中になっていたのでしょうか。俳優を目指すきっかけになった作品があるのか、気になりますよね。
藤原季節さんは、小学校低学年のころに映画『マトリックス』に夢中になり、何度もくり返し観ていたそうです。映画好きだったお母さんの影響で、家では毎晩のように映画が流れていたといいます。
毎晩映画が流れていた家
2021年6月1日のJ-WAVE NEWSの記事によると、役者を目指したきっかけを聞かれた藤原季節さんは、大の映画好きだった母親の影響が大きかったと答えています。家では毎晩映画が流れていて、藤原季節さんもお母さんと一緒にレンタルビデオ店に行き、好きな作品をたくさん借りていたそうです。
それがだんだん加速して、毎日映画を観るようになったんだとか。2026年7月26日の日刊スポーツの記事でも、映画好きの両親の影響で、子どものころから俳優を志望していたと紹介されています。映画に囲まれた家で育ったことが、藤原季節さんの原点なんですね。
学校から走って帰って観た
J-WAVE NEWSの記事によると、小学校低学年のころは、学校から走って家に帰ってきて『マトリックス』を観ていたそうです。しかも1回ではなく、3回くらい続けて観ることもあったといいます。友だちを家に連れてきて、『マトリックス』を観せたこともあったんだとか。
2019年12月20日のCREA WEBのインタビューでも、とにかく『マトリックス』が好きすぎて、1日1回以上くり返し観ていたと話しています。2021年5月20日のAERA DIGITALのインタビューでは、6歳か7歳のときに『マトリックス』を初めて観て、一瞬で映像の世界に魅了されたと振り返っていました。
アクションスターと宮本武蔵への憧れ
AERA DIGITALのインタビューによると、『マトリックス』を観たあとは、将来はアクションスターになると心に誓い、アーノルド・シュワルツェネッガーさんやトム・クルーズさん、ジャッキー・チェンさんのアクション映画ばかり観ていたそうです。CREA WEBでは、ジャン=クロード・ヴァン・ダムさんの名前も挙げていました。
映画だけでなく、テレビでは大河ドラマが好きで、よく観ていたそうです。大河ドラマ『武蔵 MUSASHI』を観て、宮本武蔵になりたいと思ったこともあったといいます。J-WAVE NEWSの記事では、ディズニーやジブリの作品も大好きだったと話していました。いろんな作品にふれながら、俳優への思いを育てていったんですね。
学校ではどうだった?小学校から高校まで居場所がなく図書室にいた
映画が大好きだった藤原季節さんは、学校ではどんなふうに過ごしていたのでしょうか。友だちに囲まれていたのか、ひとりでいることが多かったのか、気になりますよね。
藤原季節さんは、小学校から高校まで、学校に自分の居場所がないと感じていたそうです。休み時間には、図書室で過ごすことが多かったといいます。
自分の居場所がなかった
2024年11月18日のENCOUNTのインタビューで、藤原季節さんは、昔は集団行動への苦手意識が強かったと話しています。小学校も中学校も高校も自分の居場所がなく、自分は本当にこの星の生き物なのか、どこに行けば安心できる居場所が見つかるのだろう、と思っていたそうです。
2024年9月19日のデイリー新潮に載った本人の文章では、中学1年生のとき、友人がふいに口にした、生きているだけで悲しい、という言葉が、何年たっても忘れられないほど強く心に残ったとつづっています。中学生のときに聞いたひと言を、大人になっても覚えているというのが印象的ですね。
誰でも座れる図書室の椅子
2021年5月20日のAERA DIGITALのインタビューでは、学校では居場所のない感じが続いていて、休み時間はずっと図書室で過ごしていたと話しています。本が好きというより、図書室に行けば誰でも座れる椅子が並んでいることがありがたかったそうです。
教室で誰とも話さずにいると、ひとりが好きな人というレッテルを貼られてしまうけれど、図書室で本を読んでいれば、ひとりでいても変ではない、と考えていたといいます。CREA WEBのインタビューで話していた、学校や地域の図書館で歴史小説を読んでいた時間も、こうした毎日の中にあったのかもしれませんね。
相手によって変わる自分
2021年6月1日のJ-WAVE NEWSの記事で、藤原季節さんは、自分には八方美人のようなところがあって、それが嫌いだったと話しています。先生と話しているときの自分、友だちと話しているときの自分、母親と話しているときの自分が、全部相手に合わせていて、表情が違っていたそうです。だから俳優になろうと思った、と語っていました。
2024年11月16日のWWDJAPANのインタビューでも、話す相手によって自分が違っていたので、本当の自分はどこにいるのだろうと子どものころから思っていたと話しています。相手によって変わってしまう自分への違和感が、俳優を目指す気持ちにつながっていたんですね。
高校時代は?プライドが高く孤立して本を読むふりをしていた
藤原季節さんは、札幌の高校でどんな毎日を送っていたのでしょうか。部活や友だちとの思い出があるのか、気になる人も多いですよね。
藤原季節さんは、高校時代はプライドが高すぎて孤立していたと話しています。仲のよかった幼なじみは別の高校に進み、図書館で本を読むふりをして過ごしていたそうです。
12歳からの幼なじみは別の高校へ
2021年5月26日のJ-WAVE NEWSの記事によると、藤原季節さんは、高校時代はプライドが高すぎて孤立していたと振り返っています。12歳からの友だちは別の高校に行ったので、そばにはいなかったそうです。そのため、ずっとひとりぼっちだったといいます。
この12歳からの幼なじみは、藤原季節さんが出演した映画『くれなずめ』で演じた大成という役のモデルになった友だちです。藤原季節さんは、その幼なじみを大成で完全にコピーしたと話していました。高校は別々になっても、大人になってからもつき合いが続いている大切な友だちなんですね。幼なじみの名前や仕事は、一般の方なので公表されていません。
零戦の本を開いて読むふり
高校時代に何をしていたのかと聞かれた藤原季節さんは、図書館で本を読んでいるふりをしていたと答えています。開いていたのは『零戦の最期』のような本で、話しかけづらい本を選び、あの人は読書が好きなんだな、というキャラクターを装っていたそうです。
ただ、文字はまったく頭に入ってこなかったといいます。そのときに考えていたのは、この時間が早く終わらないかな、ということだったんだとか。子どものころの図書室や図書館に続いて、高校でも、本のある場所がひとりで過ごすための居場所になっていたんですね。
高校で観返したマトリックス
2021年6月1日のJ-WAVE NEWSの記事によると、藤原季節さんは、高校生のときに『マトリックス』を観返して、ようやく内容がわかったそうです。小学校のころは、内容はわからないけれどかっこいい、という気持ちだけで観ていたと振り返っています。
小学校低学年で夢中になった映画を、高校生になってもう一度観て、やっと物語を理解できたということですね。教室では孤立していた高校時代も、映画への思いは変わらずに続いていたことがわかります。高校を卒業したあと、藤原季節さんはいよいよ俳優を目指して動き出します。
藤原季節の学歴は高校卒業後どうなった?1浪して上京し1年で中退
- 高校卒業後は?1年浪人して19歳で上京した
- 進学先はどこ?2012年に中大の文学部へ進んだ
- 上京後は?演劇研究会に入り4か月後に初舞台に立った
- 中退したのはいつ?2013年に退学を決めて親は泣いた
- 中退後は?小劇場の縁で映画に出て事務所に入った
- 世間の声は?朝ドラの寛太役で注目が集まり特技や年齢をたずねる声
高校卒業後は?1年浪人して19歳で上京した
高校を卒業した藤原季節さんは、すぐに東京へ出たのでしょうか。俳優になりたいという夢を、まわりにどう伝えていたのかも気になりますよね。
藤原季節さんは、高校を卒業したあと1年浪人して、19歳で上京しました。俳優になりたいという夢は、親にも親友にも一度も話していなかったそうです。
誰にも言わなかった俳優の夢
2019年12月20日のCREA WEBのインタビューで、藤原季節さんは、映画やドラマを観て誰かに憧れて俳優になりたいと思ったわけではない、と話しています。自分は常に芝居をして生きていく気持ちがあって、何の根拠もなく、表現者になれると思っていたそうです。
そして、親にも親友にも、俳優になりたいという夢を一度も口にしたことはなく、高校を卒業したタイミングで、東京で俳優になって驚かせようと思っていたといいます。2026年7月26日の日刊スポーツの記事でも、子どものころから俳優を志望していたものの、誰にも言えなかったと紹介されています。
北海道にはオーディションがなかった
2021年5月20日のAERA DIGITALの記事によると、藤原季節さんは、親に将来は俳優になりたいとは伝えなかったそうです。北海道には、有名な芸能事務所や劇団があるわけでも、オーディションがあるわけでもなかったので、とにかく東京に出る、というのが10代のころの目標だったと紹介されています。
2022年6月10日のMEN’S NON-NO WEBの記事でも、高校を卒業後、東京の大学への進学を機に上京したが、本当の目的は俳優になる夢を叶えるためだったと書かれていました。大学への進学は、東京に出るための道でもあったということですね。
1年の浪人を経て19歳で上京
AERA DIGITALの記事では、1年の浪人生活を経て、東京の大学に進学したと紹介されています。日刊スポーツの記事でも、東京に行くために1浪したと書かれていました。高校を卒業したのが2011年3月なので、浪人生活を送ったのは2011年から2012年にかけての1年間ということになります。
2021年6月1日のJ-WAVE NEWSの記事では、藤原季節さんは19歳で上京したと紹介されています。1993年1月生まれの藤原季節さんが19歳になったのは2012年1月なので、浪人を終えて上京したのは2012年ということになります。このあと紹介する進学の年とも合っていますね。
進学先はどこ?2012年に中大の文学部へ進んだ
1年の浪人を経て上京した藤原季節さんは、どこの学校に進んだのでしょうか。所属事務所のプロフィールには学校名が書かれていないので、気になっている人も多いですよね。
2026年7月26日の日刊スポーツの記事によると、藤原季節さんは2012年に中央大学の文学部に進みました。本人が2023年に出版した本『めぐるきせつ』につづった内容として紹介されています。
早稲田を受験すると言って札幌を出た
2021年6月1日のJ-WAVE NEWSの記事によると、藤原季節さんは、誰にも俳優になりたいとは言わず、お母さんに、早稲田大学を受験するから学費を出してくれ、と言って地元の札幌を飛び出したそうです。俳優になるという本当の目的は隠したまま、受験を理由に東京へ向かったということですね。
この記事には、実際に早稲田大学を受験したのか、その結果がどうだったのかまでは書かれていません。ネット上では、藤原季節さんの進学先は中央大学ではないかと言われてきました。その進学先について、くわしく紹介しているのが日刊スポーツの記事です。
本の中で明かされた進学先
日刊スポーツの記事は、藤原季節さんがデビュー10年と30歳の節目だった2023年に出版した本『めぐるきせつ』で、人生の歩みを赤裸々につづったと紹介しています。その中で、東京に行くために1浪を経て、2012年に中大文学部に進んだことにふれています。中大とは、中央大学のことです。
2023年8月29日のテレ東プラスの記事によると、『めぐるきせつ』はワニブックスから2023年8月23日に発売された初めてのパーソナルブックです。俳優人生のほか、幼いころのことや俳優になるまでの道のりなどを、約10万字にわたって本人が書き下ろしています。所属事務所のプロフィールに学校名はありませんが、本人の本の中で、進学先が明かされていたということですね。
映像視聴覚室で映画ばかり観ていた
日刊スポーツの記事によると、中央大学に進んだ藤原季節さんは、映像視聴覚室で映画ばかり観ていたそうです。子どものころから映画が大好きだった藤原季節さんらしい学生生活ですね。
テレ東プラスの記事で、藤原季節さんは『めぐるきせつ』を書いていたあいだ、お芝居の仕事をできるだけ抑えて、自分は何者なのか、役者の自分を忘れて書くことに没頭していたと話しています。そうしてつづった本の中に、浪人や進学、そしてこのあと紹介する演劇との出会いや中退のことも書かれているんですね。
上京後は?演劇研究会に入り4か月後に初舞台に立った
東京に出てきた藤原季節さんは、俳優になるために、まず何をしたのでしょうか。どこで演技を始めたのか、気になりますよね。
藤原季節さんは、上京後に大学の演劇研究会に入り、学生演劇を始めました。演劇の世界に飛び込んでから4か月後には、初めての舞台に立ったそうです。
芸能事務所を訪ねても相手にされなかった
2024年11月18日のENCOUNTのインタビューによると、藤原季節さんは、最初は芸能事務所に入ろうと思い、直接事務所を訪ねたりもしたそうです。でも、全然相手にされなかったと振り返っています。
2026年7月26日の日刊スポーツの記事でも、芸能事務所を回ったものの相手にされず、大学の第二演劇研究会に入ったと紹介されています。第二演劇研究会は、ニゲキとも呼ばれている演劇のサークルです。芸能事務所に入る道がうまくいかなかったことが、学生演劇を始めるきっかけになったんですね。
夏公演で初舞台
2021年6月1日のJ-WAVE NEWSの記事によると、上京した藤原季節さんは、学生演劇のドアを叩き、その4か月後には初舞台に立ったそうです。日刊スポーツの記事でも、8月の夏公演の舞台で俳優デビューしたと書かれています。2つの記事を合わせると、春に演劇の世界に入り、その年の夏に初舞台に立ったということになりますね。
2019年12月20日のCREA WEBのインタビューでは、最初の2、3年は大学の演劇サークルのほかにも、いろいろな劇団にお世話になり、小劇場の舞台に立っていたと話しています。ただ、まったく芽が出なかったと笑いながら振り返っていました。
演劇で見つけた居場所
ENCOUNTのインタビューで藤原季節さんは、大学の演劇研究会に入って演技に没頭していく中で、自分の居場所を見つけることができたと話しています。演劇に出会ったときに、自分の居場所に気づいたそうです。小学校から高校まで居場所がないと感じていた藤原季節さんにとって、大きな出会いだったんですね。
2024年11月16日のWWDJAPANのインタビューでも、19歳で初めて演劇をやったとき、誰かが書いたせりふを読んでいるのに本当の自分が出せた気がして、すごく快感を覚えたと話しています。とても不思議な体験だったそうで、それ以来、役者の仕事は生きていくうえでとても大切なものになったといいます。
中退したのはいつ?2013年に退学を決めて親は泣いた
中央大学に進んだ藤原季節さんは、その後どうなったのでしょうか。卒業したのか、途中でやめたのか、気になりますよね。
藤原季節さんは、入学の翌年の2013年に中退しています。演劇にのめり込むうちに学校に行かなくなり、退学を決めたときには、親が泣いていたそうです。
学校に行かなくなった
2021年5月20日のAERA DIGITALのインタビューで、藤原季節さんは、浪人までして上京したのに、劇団を立ち上げたり、ネットの公開オーディションを受けたりして、すぐに学校に行かなくなったと話しています。
お母さんに受験を理由に学費をお願いして上京し、1年の浪人を経て進んだ学校でしたが、上京した本当の目的は俳優になることでした。東京に出てきてからは、授業よりも演劇に気持ちが向いていったということですね。
アルバイトをせずに借金
2021年6月1日のJ-WAVE NEWSの記事によると、藤原季節さんは東京で演劇にはまったものの、アルバイトをすると売れるのが遅くなる、という思いから、アルバイトをせずに借金を抱えながら生活していたそうです。
当時はお金もなく、髪の毛もボサボサで、裸足のような格好で歩いていたと振り返っています。俳優として売れることだけを考えて、生活のすべてを演劇に向けていたことが伝わってきますね。
1年でやめた学生生活
2019年12月20日のCREA WEBのインタビューで、藤原季節さんは、大学は1年で中退したと話しています。芝居は楽しく、お客さんの反応を直接感じられることもあって、そのころの自分には、芽が出ないという発想がまったくなく、なんとかなると思っていたそうです。ちょっと常識がないというか、ネジが外れていたんだと思う、と笑って振り返っていました。
2026年7月26日の日刊スポーツの記事でも、入学の翌年の2013年に中退したと紹介されています。AERA DIGITALのインタビューでは、退学を決めたとき、親は泣いていたと明かしていました。藤原季節さんの最終学歴は、中央大学中退ということになりますね。
中退後は?小劇場の縁で映画に出て事務所に入った
学校をやめた藤原季節さんは、どうやって俳優の道を切りひらいたのでしょうか。今の事務所に入ったきっかけも気になりますよね。
藤原季節さんは、小劇場の舞台で知り合った俳優の毎熊克哉さんに誘われ、映画『ケンとカズ』に出演しました。その撮影中だった2013年9月に、今の事務所オフィス作のオーディションを受けて所属しています。
毎熊克哉さんの誘いでケンとカズへ
2019年12月20日のCREA WEBのインタビューによると、藤原季節さんは、小劇場の舞台に立っていたときに毎熊克哉さんと出会い、友だちの監督が映画を撮るからオーディションを受けてみないか、と誘われたそうです。そして20歳のときに、小路紘史監督の映画『ケンとカズ』で、チンピラのテルを演じることになりました。
当時はアドリブばかりの芝居で、撮影現場から家に帰る交通費がないときは、路上で寝たりしていたそうです。髪の毛も2年くらい伸ばしっぱなしで、当時の自分の生き方そのものがテルだったような気もする、と話しています。2026年7月26日の日刊スポーツの記事では、2016年に公開されたこの映画で道が開けたと紹介されています。
松田優作さんの誕生日のオーディション
2021年6月1日のJ-WAVE NEWSの記事によると、藤原季節さんは、そのころのボロボロの格好のまま、オフィス作のオーディションを受けたそうです。50人近くいた中で、代表の松田美由紀さんが目の前まで来て、ボサボサの髪をかき分けたんだとか。その日は松田優作さんの誕生日の9月21日で、2日後には合格していたといいます。
所属事務所の公式プロフィールでは、2013年のワークショップオーディションで、応募者500人の中から選ばれたと紹介されています。CREA WEBのインタビューでは、最初の宣材写真を撮るときに、松田美由紀さんから髪を切るように言われ、長い髪をバッサリ切ったと話していました。
鳴かず飛ばずの時期から朝ドラまで
2014年の映画『人狼ゲーム ビーストサイド』で本格的に俳優活動を始めた藤原季節さんですが、AERA DIGITALのインタビューでは、事務所に入ってから5年から6年は鳴かず飛ばずだったと話しています。J-WAVE NEWSの記事では、23歳までに大スターになれたらと思っていたものの、24歳のときにスターになれていなかったと思って号泣したと明かしていました。
一番の転機になったのは、2020年の映画『his』だったそうです。2024年11月18日のENCOUNTの記事によると、『佐々木、イン、マイマイン』と『his』で第42回ヨコハマ映画祭最優秀新人賞などを受賞しました。そして2026年度前期の朝ドラ『風、薫る』では、小日向栄介、正体は詐欺師の寛太という役を演じています。日刊スポーツの記事では、仮面をつけ替えるような寛太に、自分の幼少期と通じる部分があると話していました。
世間の声は?朝ドラの寛太役で注目が集まり特技や年齢をたずねる声
藤原季節さんについて、世間ではどんな声が上がっているのでしょうか。ここでは、Yahoo!知恵袋に寄せられた質問を3つ紹介します。
朝ドラ『風、薫る』の放送が始まってから、藤原季節さんの特技や年齢、演じている寛太という役についての質問が寄せられていました。
特技をたずねる質問
2026年7月23日には、藤原季節さんはドラマでよく実際に料理しているが、何か資格や特技を持っているのか、という質問が投稿されています。閲覧数は31回で、回答は1件です。
ベストアンサーでは、料理は役作りの一環で、資格は持っていない、公表されている特技は剣道2段とボクシングC級ライセンスだ、と答えられていました。2026年9月2日の日刊スポーツの記事によると、藤原季節さんは9月1日に東京の後楽園ホールでプロボクシングのデビュー戦に臨み、1回2分6秒でTKO負けしています。2025年のNetflixシリーズ『阿修羅のごとく』でボクサーを演じるため、2023年1月からジムに通っていたそうです。
年長者順をたずねる質問
2026年4月27日には、朝ドラ『風、薫る』『ばけばけ』『あんぱん』に出演した藤原季節さんや吉沢亮さん、北村匠海さんなど8人を、年上の順に並べてほしい、という質問が投稿されています。閲覧数は37回で、回答は1件です。
ベストアンサーでは、藤原季節さんが一番最初に挙げられていて、8人の中で一番年上という答えでした。1993年1月生まれの藤原季節さんは、この質問が投稿された時点で33歳です。1年の浪人や中退を経て俳優になった藤原季節さんが、若手の俳優たちと朝ドラで並んでいるんですね。
寛太のモデルをたずねる質問
2026年7月24日には、朝ドラ『風、薫る』の寛太のモデルは誰か、という質問が投稿されています。閲覧数は73回で、回答は2件です。
回答では、ヒロインのひとりの直美のモデルとなった人の夫を思い浮かべたものの、寛太とは設定が違う部分が多く、特定のモデルはいない架空の人物である可能性が高そうだ、という声がありました。ほかに、直美は史実の資料が少ないため、直美のまわりは創作が多めの設定になっているようだ、という回答も寄せられています。世間の声を見ると、朝ドラの寛太役をきっかけに、藤原季節さんの特技や年齢、演じる役に関心が集まっていることがわかります。
藤原季節の学歴のまとめ
- 藤原季節は1993年1月18日生まれ、北海道札幌市出身で、2026年10月現在33歳である
- 通っていた小学校、中学校、高校の名前は公表されていない
- 母親が剣道の先生だったこともあり、6歳から剣道を習い、腕前は二段である
- 映画好きの母親の影響で、小学校低学年のころから『マトリックス』をくり返し観ていた
- アクションスターや宮本武蔵に憧れ、子どものころから俳優を志望していた
- 小学校から高校まで学校に居場所がないと感じ、休み時間は図書室で過ごしていた
- 高校時代はプライドが高すぎて孤立し、図書館で本を読むふりをしていた
- 俳優になりたいという夢は、親にも親友にも一度も話さなかった
- 北海道にはオーディションがなく、とにかく東京に出ることが10代の目標だった
- 高校卒業後に1年浪人し、19歳で上京した
- 母親には早稲田大学を受験するから学費を出してほしいと言って札幌を出た
- 2012年に中央大学文学部に進んだと、日刊スポーツが本人の本の内容として報じている
- 大学の第二演劇研究会に入り、8月の夏公演で初舞台に立った
- 学校に行かなくなり2013年に中退したため、最終学歴は中央大学中退となる
- 中退後は映画『ケンとカズ』に出演し、2013年9月にオフィス作に所属、2026年の朝ドラ『風、薫る』では寛太を演じている
出典:CREA WEB(2019年12月20日・破天荒な青春時代)/AERA DIGITAL(2021年5月20日・浪人と上京、退学)/J-WAVE NEWS(2021年5月26日・高校時代)/J-WAVE NEWS(2021年6月1日・上京とオーディション)/MEN’S NON-NO WEB(2022年6月10日・上京の本当の目的)/テレ東プラス(2023年8月29日・パーソナルブック『めぐるきせつ』)/デイリー新潮(2024年9月19日・札幌から上京)/WWDJAPAN(2024年11月16日・19歳で初めての演劇)/ENCOUNT(2024年11月18日・学生時代の居場所)/日刊スポーツ(2026年7月26日・中大文学部と中退)/日刊スポーツ(2026年9月2日・プロボクシングのデビュー戦)/オフィス作(公式プロフィール)
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